月の光について。

結局、前の更新から一ヶ月経ってしまったのであります。だってね、お仕事がハードだったり遊ぶのに忙しかったり、んで、「後で書こう」って思っていると、細かいことを全て忘却の彼方へやってしまうものでしてね。
えーと、要するにサボっていたのです。ごめんね(öᴗ<๑)

先日誕生日を迎えました。ついに三十七歳。という、なんかもうヘンなテンションになるお年頃でして。あのー、髪を切りに行ったんですね。前をぱっつんにしてくれ。つって注文して。
三戸なつめちゃんみたいな髪にしたいな~って思ってて、いざ出来上がったらですね、鏡の向こうに北の国の最高権力者がいましたよね。
あっれぇぇぇ? って思いつつカネ払いましたけど。まあコレもね、理容店あるあるですから。家に帰って独りで泣くわけですよ。「うわぁぁぁ」って。

映画もなんかね。「ラ・ラ・ランド」も観に行ってないですからね。観てないのにdisるのは良くないですから。サントラ盤は買いましたけども。
代わりに。ってわけじゃないですけど、「ムーンライト」を観に行ったんです。今年度のアカデミー作品賞ですね。
もうね、本当に素晴らしい作品でしたよ。純愛ものでしたね。
ゲイの黒人の男の子が成長していく話なんですけど、差別がダブルでくるんですよ。黒人男性ってヘテロセクシュアルで当たり前。みたいな感じなんで。マッチョイズム。って言うのかな。
そういう状況で、まあ主人公が学校ではイジメの標的になり。家庭では母ちゃんがヤク中。というヘヴィーな状況で。何処にも居場所がない。そんな彼が救済(と呼ぶにはどうもキツいのですが、そうとしか言えないです)されるまでのお話。
月の光で救済されても、光が当たらなくなると、また地獄が顔を出す。でも、そこに縋るしか生きていく術はない。みたいな。
すごくいい映画でした。

次は何かなー。「美女と野獣」でも観に行きましょうかね。

三日月。あるいは、「みうらさん、早すぎだよ!」

にしても、2月は早すぎる。たった28日しかないのだから、8月から1日貰ってきたらどうだろう。閏年にはさらに1日プラスして2月を30日として運営しても、さしたる問題があるようには思えないのだが。
いや、きっと何かしらの問題がありそうだ。なんか難しい天文学の計算とかでトラブルがあるんだろうな。きっと。

先日映画を観に行った。「スライドショーがやってくる!」というドキュメンタリー作品。
いとうせいこうみうらじゅんと、スライド上映機のスライ。この三者によるトークショーが、「ザ・スライドショー」。主にみうらが撮ってきたくだらない写真に、いとうがただツッコんでいく。それだけの興行。
「何故コレを絵はがきにした?」と言いたくなる「カスハガ」、ムカつく願い事が書いてある絵馬「ムカエマ」、ゴムヘビ、飛び出し坊や、とんまつりゆるキャラ、エトセトラ、エトセトラ。そしてそれを嬉嬉としてコレクションして発表するみうらに、「集めるなよ!」と至極真っ当にツッコむ、いとうの確かな技術。そこには邪魔しづらい独特の空気が流れている。

野球部の部室みたいな気持ち悪い感じではないし、身内二人だけで喜んでいるだけでもない。こうなると最早友情というよりは、愛情と言ったほうがしっくりくるし、実際に映画の中でも、「なんで俺たち、ホモじゃないんだろう?」って言い出す。
友情って、こういうことなのかな。と、ぼんやり考えたりした。


近頃クロワッサンにハマる。
東海林さだお(だっけ。アサッテ君の作者)のエッセイの中に、クロワッサンというのは、美味しいがポロポロしやがるのがムカつく。みたいなことが書いてあるのだが、あれは美味しいクロワッサンを食べたことがないのだろう。というのが、アタシの考えだ。
美味しいクロワッサンは、ポロポロしないのである。

名古屋の高島屋の1階にあるパン屋なのだが、ここの得意なパンがクロワッサンなのだ。先日試しに買ってみたのだが、バターの香りが濃厚で、外側層はサクサクして、内部がもっちりとしており、実にうまいものであったのだが、そんなにポロポロしなかったのだ。
別の日に今度は安いクロワッサンを試してみたが、こっちはポロポロしまくってしまい、あとの掃除が面倒だった。

ポロポロするクロワッサンは、おそらくはどこかで手を抜いているのではなかろうか。と思いつつ、今日もクロワッサンを頬張ることにする。

そして黙る。

先週無くした携帯が出てきて先週罹患した風邪も治癒し、やれやれと言った風情なのですが、先日観に行った「沈黙~サイレンス~」の話を忘れていたので、今からその話をしようと思うのですが。やはり話題が拡がりすぎちゃうんですよね。他民族・他宗教への無理解とか、キリスト教の矛盾だとか。申し訳ないがアタシみたいなポンコツ豚野郎が喋るのも如何なものものかと。

まあいいや。始めてみましょう。

この映画がこの時季に公開された理由を、どうしても考えてしまう。やはり米大統領に対する異議申立てなのかな。とか考える。眼に映る全てに政治的意味を見出してしまうのは、明らかに症状だと思うが。

この映画に登場するイエズス会の宣教師も、徳川幕府側の人物も、どちらも異国の人間をよく理解していない。という点で共通している。
宣教師は長崎の貧しい村のキリシタンを下に見ていて、神の教えを伝えてやろう。としているように見えるし、幕府の役人は海外の宗教を危険なものと断定してハードな拷問を課している。

どちらも他者の存在を認めていない。

最後に宣教師は信仰を棄てることになるのだが、その瞬間に彼は神の存在を改めて信じるようになる。この展開は皮肉でもあるが、陰惨な暴力に満ちた映画を爽やかなものにしている。信仰にはロザリオなんて要らないし、イエスのレリーフなんか踏んだってどうでもいい。ただ静かに祈りさえすればいい。そういう意味での「沈黙」なのだろうな。と思ったのでした。

Black is beautiful.

実家に戻って変わったことと言えば、外食の回数が減ったくらいである。今までは仕事で疲れきって帰宅して、その後で食事を作ることを面倒に感じて外で食べたり、或いは食べないこともしょっちゅうあった。今では何かしらの用意があるので、ついつい食べてしまう。体重の増加が不安ではあるが、無理しないようにキープするようにする。
もう一つ変わったことは、映画やレコードに今まで以上にお金を使えるようになったこと。家賃や食費の負担も大きく減り、その分を遊び方面に使えるようになったのだ。尤も、全額を遊びに遣うわけでもないが。

先日「マイルス・アヘッド」という映画を観てきた。ジャズの帝王。とも言われる不世出の天才、マイルス・デイヴィスを描いた作品。今からその感想を書く。

主演のドン・チードルの顔は、マイルスにはあまり似ていない。どうでもいいことかもしれないが、ここが重要なポイントなのではないか。つまり、これはマイルスの伝記映画ではなく、マイルスの人生を元ネタにした架空の物語ですよ。という宣言である。

映画はマイルス・デイヴィスが一切の音楽活動から退いた五年間にスポットを当てている。コカインをやりまくって退廃の極致にあるマイルスの元に、ローリング・ストーン誌の記者を名乗る男がやってくるところから始まる。そして紆余曲折、マスターテープを巡ってのカーチェイスを経て、シーンに復活するまでを描いている。

その間に、スターだった頃の回想が挟まって進んでいくのだが、如何せん、ネタが多すぎる。それだけマイルスの人生が波乱に満ちていた。ということではあるのだが、あれもこれもと詰め込み過ぎて、結果平板な印象を受ける。もっと要素を絞って構成した方が、全体が観やすくなったと思う。
動きのあるカーチェイスのシーンも、どうも必要なシーンとも思えないし、タランティーノみたいなことがやりたかったのかな? という感想しか持てない。

と、ここまでだとただの悪口なのだが、最後のライブのシーンでは落涙してしまった。
ロバート・グラスパー、アントニオ・サンチェス、そしてハービー・ハンコック(あとはど忘れした。申し訳ない)らを従えて、マイルスが好きそうなキメキメの衣裳を身にまとい、トランペットを吹くドン・チードル(音は別撮り。つまりは当て振り)を観て、この映画の真の目的が解った。

これはマイルス・デイヴィスのコスプレをする映画だったのだ。自分の好きな対象に自分を重ね合わせるという、ある意味純粋性に貫かれた作品だったのだ。そのことに気付いた瞬間、どうにも涙が止まらなかった。

全人類にお勧めできる映画ではない。音楽に興味の無い人が観たところで、はっきり言って時間の無駄である。
でも観たいのなら、Wikipediaマイルス・デイヴィスのことを下調べしておいた方がいい。白人警官に殴られて声を潰したこと、ボクシングが好きだったこと、などなどを頭に入れておいてから観るのなら、楽しめると思う。

それでは、また次回。

新年のお知らせ。

というわけで、本年から名古屋を離れて稲沢市。というところからお届けします。と言っても、それほどの変化もありませんで。まあ強いて言うなら終電をブッチして酒に溺れた挙句に若者達に財布抜かれる。みたいなことができなくなりますかね。本年も宜しく御願いします。

ここしばらく部屋を片付ける以外のことをしていません。なにしろずーっと掃除してないもんだから、ホコリとか飼い猫のゲロとかでいっぱいなわけですね。未だにオーディオ機器も出せていない始末。昨年頂いたCDもまだ聴けていないという体たらくですよ。うーんと、ごめんね!

まあいろいろやることが多くてただただ疲れています。平常通りの運行は、来月からかなー。と思いますが、遊んで下さい、ってことで。今からまた掃除します。

逃げるは恥だし役立たず。

うまいこといじろうとしたら、失敗。


さて、今季のドラマはなんだかんだ言って「逃げるは恥だが役に立つ」をよく観ていたりする。よく知らなかったのですが、漫画が原作なんですよね。
と、そこで考えちゃうのが「ドラマって、漫画を実写化するものだったかね」っつーことなんですね。
映画の話になりますけど、なんかもう殆ど漫画原作の作品ばっかりに見えるんですよね。さんざん「原作レイプ」って言われるのに。
コレ、どうなの。そのうち脚本家の仕事は「長編漫画をうまいこと2時間にまとめる」みたいなことになるのかな。「ONE PIECE」の実写化。とかね。誰が麦わらの一味をやるのかね。

まあプログラムピクチャーみたいなもんだ。と思えばいいのですがね。オリジナルの企画よりは会議も通りやすいだろうし。製作資金も集まり易いだろうし。
あと、優秀なクリエイターが漫画業界にしかいない。ということの証明のように思えてくるなー。

毎週観てるクセに、わかったようなことをほざいてんじゃねーよ。はい、そのとおりです。


次期大統領がドナルド・トランプに決まってしまったのです。
「えー、マジでー?」とアタシは呆れてしまったのですが、選挙結果なんだからしょうがないです。

今回の結果を受けて、世界中が浮き足立っていますけども、いちばん泡を食っているのは、他ならぬトランプ氏本人なのではなかろうか。「え、オレ? マジ?」みたいな。

だってあの人の言ってることめちゃくちゃだもの。
メキシコとの国境にデカい壁を作る(メキシコのカネで)。ってさー。そうやってヤバいクスリの密輸をストップさせるらしいのですがね。メキシコからの密輸って陸路も使うけど、地下にトンネルと鉄道が敷いてあって、そこからアメリカに運んでるらしいのね。だから壁なんかあってもそれほど意味無いし。そもそもメキシコが首を縦に振るわけ無いし。
移民を国外追放って言ってたけど、お宅の国自体が移民で出来てる国じゃねえか。どうするのかニャー。イスラム教徒を追い出すのもね。石油関係のビジネスで来るアラブ人とかはアリなの?

とまあ、いろいろと絵に描いたヘタクソな餅なんですけども。でも実現させないといけないわけですよ。トランプ支持者のバカ白人は、それを信じてしまったのですから。もし出来なかったら。暴動どころの話じゃないでしょ。ちょっとした内戦状態になりますよ。


さて、どうするつもりなんですかね?

秋の服飾計画が華麗に頓挫。

今朝起きてTwitterを見たら、岡田斗司夫氏がニコ生(でいいのかな。未だにニコニコさんの仕組みがわからない)で日本の先住民族についてのゼミ的なことをスタートさせる。というニュースが飛び込んできたので、朝から苦笑したのです。

観たくないし観る気もないが、おそらくはアイヌ民族の皆さんの歴史を強引にヲタク史に結びつける話になるのだろうけども。

そう思惑通りにいくだろうか。先住民族とヲタクの両方についてよく知らないあたしが言うのもどうかと思うけど、現在のヲタクの皆さんはどう見ても多数派ですよね。対して、アイヌ民族はその存在すら消えつつあるわけで。どうにもなあ。

あ、アレかな。要するに自分たちを先住民族と位置づけることで自己神格化を謀ろうという、狡い計算なのかしら。
いずれにせよ、岡田氏の手に余りまくる難題であって、あっという間にぐだぐだになるのでありましょう。かつて同じ釜の飯を食った庵野秀明氏がヒットを飛ばしたのを見て、焦っているんだろうな。って思うけど。


今日はコンパルでお茶をした。
コンパル。というのは、名古屋市内にいくつかある喫茶店で、クセのあるコーヒーとサンドイッチで有名なお店。
特に名物になっているのがアイスコーヒーで、オーダーすると氷の入ったグラスと、デミタスに入った濃いめのホットコーヒーが出てくる。つまりホットを氷に注いで急速冷却してアイスにするわけで、これがなかなかに美味しい。

ですが今日はチョコバナナパフェを食べた。

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うん。昭和のパフェ風情が良いですが、かなりのハードコア。でもあっという間に平らげた。あたしはまだまだ若いな。


帰宅中に、感じが良いってどういうことなんだろうな。と考える。
あたしは自他共に認めるクズ野郎ではあるのだが、見た目の感じが良ければいい人扱いされるのではないか。

誰もあたしの内面のゲス山クズ太郎なところなんか興味ないだろうし、外ヅラ良ければなんとかなるんじゃねえか? と考えたのだ。
他人から見てみっともないファッションで歩かない。なるべく常ににこにこしていること。体臭にはなんとなく気を配る。この三つを心がけておけば、好感度は足される。

ていうか、あたしの顔はブスだしなー。顔がダメな分は、そっちで加点してもらえないかなー。みたいなことを考えた。独り身をこじらせる前兆なのでは。という忠告には、耳を貸さないようにします。


それでは、また次回。